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2020年9月6日 年時第23主日「きょうだい愛」

fr.田中信明OP

朗読:.┘璽エル33:7-9、▲蹇璽13:8-10、マタイ18:15-20

 ユダヤ・キリスト教伝承を受け継いで教会は「共同体・コミュニティー」を大事にします。出エジプトし約束の地に向けて荒野を旅した民とのつながりで「旅する神の民」とキリストをかしらとする肢体からなる「キリストのからだ」というのが第二バチカン公会議(1962〜65年)後の二つの教会論の柱である「用語」です。だれか一人にかかわることは全体にかかわることであり「喜びや痛み」を共感・共有します。ユダヤ教、キリスト教、イスラムの「相互援助」は「仲間のうちに貧しい者があってはならない。所有物を共有し必要に応じて分配する」(使徒2:44参照)というもので「使徒的・初代教会」の伝承を感じます。かつてニューヨークが寒波に襲われたとき、いち早くユダヤ教の会堂(シナゴーグ)を開放して毛布を用意して大勢の人を迎えました。イラク戦争で両親を亡った子どもたちを迎え入れたのはイスラムの家庭でした。そしてごく当たり前に「自分の子ども」として育てます。ブラジル・レシフェのドン・ヘルダー・カマラ大司教は政治犯とされた人たちを「きょうだい」として刑務所に迎えに行き、「名前がちがう」と言われても「わたしの家族」と応え多くの「きょうだいたち」の身元引受人になりました。今、フランシスコ教皇もバチカンの住居に人々を招いて食事をともにしています。コルコタのマザー・テレサは「死を待つ人々の家」で人々を腕に抱きかかえ「キリストのまなざしとにおい」を一日の第二の聖体拝領としていました。マザーの所を訪ねた女子大生はおそるおそる人々に近よっていましたが、ある日、腕に病者を抱きかかえて、その人の目はまだ生ていると感じ自分の名前を語りかけたら、彼女はうなずき「わたしのなまえはチャンパ」と微笑みを浮かべ、それからしばらくして息を引き取ったそうです。このようなかかわりは人気取りのパフォーマンスではありません。信仰にもとづいて「そうせざるを得ない」内的促しによる生き方なのです。
 人々の集いである教会・信仰共同体は「キリストの秘義」のうちに「自我が消える」道行で自他の隔たりなく恵みも罪も共有するのです。したがって、「きょうだいが罪を犯したなら」罪を犯した者は相手の忠告によって回心するか、また他の第三者の証言によって回心することが容易になり、また教会の仲間たちによって罪がただされるのです。「わたし」ひとりではなく第二、第三の仲間のかかわりによって、「わたし」は立ち直ることができます。人とのかかわりは大切で力をいただきます。そして「ひとりではなく、だれかと心を一つにして祈るとき、願いは天の父がかなえてくださり、さらに二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とイエスは教えます。人と人のかかわりがイエスを通じて神とともにあるかかわりに「引き上げられ」決定的なかかわりに姿を変えられます。互いに「きょうだい」として隣人として「信仰共同体」に迎えられます。
 本日の三つの朗読を振り返りますと、エゼキエルは「イスラエルの家の見張り」として、パウロはローマの教会へ、マタイは彼の教会共同体へ、それぞれ派遣されています。どの状況においても、他者の存在とともに「わたし」が存在します。根底は「友愛」に満ちていなくてはなりません。文脈は常に「信仰共同体」です。「信仰共同体」として「存在」と「行動」の基盤である父である神に祈る教会の姿勢です。主はわたしたちの中におられると信頼しつつ、神に語りかける教会の姿勢です。きょうだいに対する歩み寄りの最大の理由は「隣人愛」です。「愛は律法を全うする」とパウロは言いますが、なぜなら「律法」は神とのかかわり・交わり・つながりの「契約」を日々果たすための励ましのことばなのです。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)が信仰共同体で経験され生活の知恵が伝承されています。


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