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2020年8月2日 年間第18主日 「分かち合ったから増えた」

fr.田中信明OP
朗読:.ぅ競55:1-3、▲蹇璽8:35-39、マタイ14:13-21

 子どもの頃、いとこの家や近所の遊び仲間の家に行くと、「よく来たね。ご飯食べてきた?」ときかれ、一緒に楽しい時を過ごした。皆さんも同じような経験があるでしょう。そこにはいつも「食べる」ことを通じて「身内」「仲間」「家族」に似た一体感があった。
 日野原重明先生は「家族とは何か」と問われ、「一緒に食卓を囲む存在。そこに血のつながりは関係ありません。食事をともにできるということ、それ自体がどんなに素晴らしいことか。僕の家族は、日々の食事を通して、僕の好き嫌いや健康状態に気を配ってくれる。これほど嬉しいことはないですね。これこそが食事をともにすることで得られる絆なのです。日々感謝の気持ちでいっぱいです。家族の食事で一体感を経験するから人を食事に誘う」と、仰られた。
 マタイ福音書の話は、わずか「パン五つと魚二匹」で五千人ほどの人が食べて、残ったくずを集めると十二籠いっぱいになった。さすが全知全能の神の子イエスさまだからできる「パンを増やす奇跡」で、雰囲気と用語が最後の晩餐、感謝の祭儀と似ているからミサを暗示していると解釈する。何かしっくりしない。「最後の晩餐」は「ただ一度かぎりですべて」の決定的な「これがわたしのからだである。これがわたしの血の杯である。わたしを記念しなさい」の聖体の制定である聖木曜日の出来事である。色々な人とのイエスの「友情・なかま」の食事をすべて「聖体の制定」と同定しては「ただ一度かぎりですべて」の意味はなくなる。
 南アフリカのドミニコ会士アルバート・ノーランは著書『キリスト教以前のイエス』で、神の国と金銭について、「らくだが針の穴を通る話」を取り上げ、金持ちが神の国(貧しい人々の国)に入るには奇跡が必要なので、全財産を持ったままでは奇跡は起こらない。続いて「金持ちの青年の話」と「金持ちとラザロのたとえ話」から『イエスが求めているのは、すべての物質的所有物を徹底して誰とでも分かち合うこと(sharing)であると「分かち合いの原理」を示し、その最善の例が「パンと魚の奇跡」であった。』と述べる。
 イエスの後を追ってついてきた「大勢の群衆を見て深く憐れみ」その中の病人をいやされた。食べる時になった。ある人たちは食べ物を持ってきていたが、持ってこなかった人たちもいた。イエスと弟子たちはパン五つと魚二匹を持っていたが、弟子たちは人々を解散させて「自分たちで何か食べ物を買いに行く」よう告げることを提案したが、イエスは「あなたたちが自分でこの人々に何か食べ物を与えなさい。」と答える。パンと魚を取り天を仰いで(食前の)賛美の祈りを唱え、弟子たちに渡し、弟子たちはそのパンを人々に与えた。これを見て、人々は自発的に「食べ物かご」をあけて互いに分かち合い始めた。皆が自分の食べ物を自分だけのものとするのをやめて「わたしがありわたしたちお互いがある」まさに「今・ここに」成立しつつある「共同体」で分かち合った。結果として皆に十分ゆき渡ってなおあまりが出たほど(増えて)いた。このように人々の心を転換させ互いに食物の「分かち合い」へ導いたのである。
 これは初代教会における「分かち合い」のあり方。「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」(使徒言行録4章34-35節)。
 誰も貧しく困ることがないようにすることであった。「分かち合い」には共同体が必要である。イエスの動機は「大勢の群衆を見て深く憐れみ」と人々へのあわれみである。
 父である神が「契約」の相手であるわたしたちを見捨てず、わたしたちの救いのためにはいつでもどこへでも「出かけてかかわる」あわれみ深い方であるからである。


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