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2020年7月26日 年間第17主日 「神からいただいた宝物」

fr.田中信明OP
朗読:[鷁上3・5, 7ー12, ▲蹇璽8・28-30, マタイ13 44-52

 「断捨離」をご存知でしょう。わたしは、毎朝「今日こそ断捨離始めよう」と目覚め、 夜には「今日もまた断捨離の気持を断捨離してしまった。明日こそ断捨離」と仕事机の周 囲や部屋の中をながめ反省しながら床に就く。何十年間もその繰り返しである。
 今日の福音の箇所は、神の国(天の国)のたとえのまとめの箇所である。読みながら友 人の神父のことを思う。携帯電話もパソコンも使わず、着る物も同じような七、八枚だ け、毎月いただく謝礼で食材を求め自炊し、食事を乞う人たちを招いて食卓をともにし、 持っているのは古くなった聖書と祈りの本とノートと数冊の書籍と筆記用具と古いカバン だけという清々しい生活をしている。なぜ、そのようなミニマリストな生活を始めたの か。畑で宝物を見つけたのか。高価な真珠を見つけたのか。確かに、「見つけたもの」が あって内的な促しで神の呼びかけに応答し司祭職の召命に結ばれている。数年間司牧した 後ある日、なにびとともなにごととも距離を等しく「自由に」つき合いたいと考え、その ために「身軽な生活」を選択した小教区の主任司祭である。いつも人々の中に「宝物」も 「真珠」も見つけられると語る。それは、「わたしがありわたしたちお互いがある」教会 共同体の「共有財産」であると笑顔で語る。また、持ち物の少ない身軽な生活は、物が無 くなる心配がまったくない。あれにしようかこれにしようかの物の選択にとらわれない 「自由」が生まれ、教会の務めの合間に、人々の相談相手となり、ボランティアに出かけ、 時には自然の森を散策する。ふだん気がつかなかった周りの人たちや草花に目をとめ、心 を動かされ親しく観察し感謝の心で手を合わせる祈りの時ができると言う。物を持たない 身軽さから「他者を受け入れる場」を自分のうちにつくることに努め、人々に自発的に、 謙遜に、喜んで「つかえる自由」が彼の「日常」に生まれたのだと推察する。
 「畑で宝物を見つけた農夫」も「良い真珠を見つけた商人」も、喜んで「持ち物をすっか り売り払って買う」。「宝物」や「真珠」への執着から離れて、自由な状況で「買う」。 しかも「宝物」だけでなく畑ごと買うことで「自立」する。誰のため何のためか。「宝物」 や「真珠」の私物化や売り買いを越えた「貴い価値」を見ているからおのずと「わたしが ありわたしたちお互いがある」共同体のために。箴言2:4-5「宝物を求めるようにそれを 捜すなら あなたは主を畏れることを悟り 神を知ることに到達するであろう」。また箴 言3:13-15「いかに幸いなことか 知恵に到達した人、英知を獲得した人は。知恵によっ て得るものは 銀によって得るものにまさり 彼女(知恵の擬人化)によって収穫するも のは金にまさる。真珠よりも貴く どのような財宝も比べることはできない」と。 この知恵は聖書の知恵文学で伝承されている。神を畏れることと神を知ることでいただく 「さいわい」である。聖書で、知恵の探究者を「学者」という。「イエスの弟子」という。 「具体的出来事の対話者」である。
 神の国(天の国)はどこにあるのか。わたしたちのうちに。「すでに」イエスとともに 始まっているが「まだ」完成していない。だから、神の力(摂理・providence・はから い)を受け入れる場を「日常」で造ることに努める。固有の貴い価値をいただくだろう。 キリスト者であること、司祭であることは私的所有物ではない。人々に「つかえる」ため にいただいた「宝物」である。


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